08 August
■ 太陽の街
チアズガディスが一敗地に塗れた昨日、ハナ争いができずレースに参加すらさせてもらえなかった即戦力PO馬の末路を思いやりつつ歩は西へと向けられた。同郷(中学)の友に1年半借りたままになっていた極上のアイテムを返すためだったが夜まで都合が付かない相手を待つついでにと別件で飲み会をセッティング、高校の友人3人だけのプチ同窓会の開催に至った。「日曜そっち行くわ」と軽く決めたものの折りしも地元・八王子は金土日の3日間、甲州街道をメインにした恒例のお祭り『八王子祭り』の真っ最中。山車に神輿にとそれはもう気分を害するやかましさで、久方ぶりに戻ってきた地元っ子に対していと手荒い歓迎が待ち受けていた。昔はそれなりに顔を出したものだが、成人の今となっては年に一度のJC祭り(ジャパンカップ開催)だけで十分という陳腐な自負もあった。
(と言いながら、誰よりも民の前面に立ちブログネタの採取に走るクズ↓)
女だけの神輿
同じ部活(手ニス)だった友人とやや遅れてきた、これが6年ぶりの再会となる同業の男を交え話は弾んだ。『ビール半額』という最強のアドバンテージを武器に舌が独りでに躍るは躍る。初めはそれぞれ職場の人間関係や身辺状況など重い話題を持ち回りで語り合っていたものだが、ある時を境に状況が一変。トリガーが外れ、その道の素人を相手にイギリスの話、競馬の話、おまけにラーメンの話が機関銃をぶっ放したかのように一方的に宙を舞った。その瞬間だけは最近のモラトリアムに悩む堅固なる呪縛から解放され、ひと昔前の漲れんばかりのバイタリティがこの身に宿っていたように思う。
高校を卒業してはや10年。同じ(アスベストの?)屋根の下に学んだガキんちょが以降ユニーク(唯一無二)なキャリアを経て今に至っている。これまで歩んできた道程とそしてこれから目指すべき指針。相手は今の自分よりも過去の自分をより多く知っている。先入観を介して現在(いま)を語ることは発想が固定観念に囚われる意味でマイナスにもなるが、それは当時の自身の思想を客観的に振り返るとてつもなくありがたい存在でもある。
こんな時期だからこそ日頃疎遠だった友人と顔を合わせ、酒を酌み交わすのも有効、いや、技ありくらい効果的なのかもしれない。止め処なく過ぎ去っていく惰性の日々に楔を打ち込み、どこかに置き忘れていた若さゆえに抱いた大志を今一度胸のうちに再掲することもできるのだから。汝自信を持て!
今回この項を書いていて、幼少期より実家前のお祭りで散々聞かされていた「八王子音頭」の歌詞を全章通して知る機会を得た。結構いい詞だなと自分の育った熱い街を誇りに思う。
太陽おどり ―新八王子音頭―
井田 誠一 作詩 いずみ・たく 作編曲
1.東西南北
月から星からやって来る
逢いたい見たい住みたいと
キンラキラキラキラキラ
みどりがいっぱいあるところ
美人がいっぱいいるところ ハア
太陽の街八王子
ハッパキラキラキラキラ ハア
キンラキラキラキラキラ
2.はだかでぶつかれ
若さでぶつかれどんと行け
振り返らずに止まらずに
キンラキラキラキラキラ
足音百万空高く
あしたをみつめて大行進 ハア
太陽の街八王子
ハッパキラキラキラキラ ハア
キンラキラキラキラキラ
−間奏−
3.あの娘とあいつが
高尾の山からおりて来た
平和の花を胸につけ
キンラキラキラキラキラ
やさしい瞳と情熱で
世界へ扉を開く朝 ハア
太陽の街八王子
ハッパキラキラキラキラ ハア
キンラキラキラキラキラ
http://www9.big.or.jp/~yazakin/fy02/020224/
かくして、『半額』のマジックに陥ちた抜け殻だけが街には取り残されていた。昔の面影に浸るのも結構だが、帰りに乗る電車まで昔のイメージを踏襲して下りの終点まで行っちゃいかんだろ・・・
20:14:12 |
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14 May
■ 弱気は最大の敵
興味のそそらない民放の番組群に飽き飽きしてスカパーのチャンネルに手を伸ばしたとき、オリックスvs広島の一戦でアナウンサーが発した言葉。そう、津田恒美が座右の銘として掲げていたそれである。9回、マウンドに上がればゲームセットの声を聞いた往時の憎たらしいまでものパフォーマンスに対して感傷に浸ろうというのではない。どこかこの言葉が胸にガツンと響きこうしてメモとして残しておきたくなったのは今の自分に最も必要なメッセージであると潜在的に感じたからだろう。
「プレッシャーを制す者が、ゲームを制す。」
一昨年サッカーのご贔屓・ナイジェリア代表が来日し日本代表と対戦したときに配られたadidas社のポストカードの言葉である。以来これをモットーとしてきたが最近はどうにもプレッシャーのかかるような勝負の場に出る機会すらみすみす棒に振っていたような気がしてならない。
何かと理由をつけて自分を納得させ行動を制限していたりしなかったか。
居心地の良さに胡坐をかいて決断を先延ばしにしていたりしなかったか。
トライしてみなければ、様子を窺っているだけでは何も進展はない。自らの弱気が胸に支え勇気を持って一歩前に踏み出せないでいる人に、炎のストッパーのこの一魂!
23:13:40 |
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29 March
■ 心は、かすんでいないか
驚くべきことに、立ち上げてからもう2週間投稿が続いている。中身のあるなしは別として、何かをこつこつと継続してやっていくことが、熱しやすく冷めやすい私にとってはとても大事なことの1つであるように思える。連続記録を途切れさせたくはないが、それを意識し過ぎると手段が目的に取って代わりいずれ同じ道を辿ってしまうのだろう。長く気負わずやっていければと思っている。まさに岡部さん曰く、テイキットイージーな精神で。ところで、このブログを始めるきっかけとなった1つのターニングポイントがある。自らの変わらぬ日常に思い悩み俯きがちになっていた私に対して、ある人が送ってくれた新聞記事の切り抜きだった。
『年齢を重ねて頭が硬くなってくると、一年の過ぎる感覚がとても早くなるのです。なぜか。若い人よりも常識の流れに乗って生きているから、感動が極端に少なくなるのですね。つまり、自分の発想とか、興味とかがなくなって、いつのまにか習い性となった「当たり前」の考え方で進むようになるからです。頭も肉体も、そして心も使わなくなる。人として錆びてくるのです。
感動が少ないことに気づいたら、一日の終わりに、今日は何に感動したかを考えて、心を磨き続けることです。それを繰り返すうちに感覚が戻ってきて、新しい向上心につながっていくと思います。
文中省略部あり 朝日新聞 安藤宏基が語る仕事より』
「人として錆びている」「無感動」―― 私の曇りきった眼を次々とすり抜けていく。そして厚く閉ざされた心を叩いた。毎日を惰性で過ごす日々が続いていたような気がする。いや、間違いなくそうだった。家に帰ってからその日の出来事を振り返ることなど一切なくなっていたのだから。
ツールとしてブログを思いついたところネタはそこら中に落ちていた。一日を顧みるよいきっかけにもなっている。立ち止まって後ろを振り返っているだけでは何も変わらない。思えば喜怒哀楽を表面に出すことすら億劫になり、無感動どころか感情の起伏すら忘れかけていたことに気づいた。考えることは得意ではないが、周りを覗いながら一歩ずつ進んでいこうと思う。昔、週末よく口にしていた、駄乗をした騎手に対する言葉。「おい、何考えて乗ってんだよ、まったく!」これを今自らに投げかけたい。いつの日か、自分が心の支えになるからと、かの人に胸を張って伝えられるように。
今はまだドフリーでいい。
12:42:28 |
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